Melanesiaメラネシア

メラネシアはオセアニアの南西部に位置する数千の島々からなる地域で、地図の上ではフィリピンやボルネオなどの東南アジアとポリネシアの間のエリアにあたります。この地域に最初に進出した人々はオーストラロイドであり、その形質的な特徴は、人類史上2回あったとされる「出アフリカ」のうち、中東から南アジア、東南アジアへと海岸線沿いに広がっていった最初のグループのDNAを強く残している、いわゆる黒人だということです。

この地域ではスカリフィケーション(切り傷)やブランディング(火傷)といった身体装飾がより一般的であり、ソロモン(solomon)諸島の例を除けばタトゥーはほぼ女性だけの文化となっていました。それも西欧による植民地化、教会の布教活動によって消え、現在残る写真資料はボディーペイントがかなりの割合で混在しているような状況です。同じ人種であるオーストラリアやタスマニアのアボリジニ(原住民)にタトゥーの習俗が存在していないということを考えると、これらの人々はもともとはタトゥーの文化は持っておらず、後に南太平洋全域に拡散してきたモンゴロイドと混ざり合い、それを習得したと考えるのが自然のような気がします。

ワロップ諸島では結婚前の女性はなるべく家の中で生活させるようにしていたのですが、これは日の光を避けることによって少しでもタトゥーの色と皮膚の色のトーンにギャップをつけて美しく見せるためであり、この例から逆にそうでもしないことには目立たないという皮膚の黒さがタトゥーをマイナーな存在にとどめたということも分ります。また美しく盛り上がるスカリフィケーションには大量のメラニン色素による特別な働きが不可欠であるとも言われており、彼らは彼らにベストの装飾方法をすでに持っていたというのも大きいでしょう。

なぜタトゥーをテーマとするこのコラムでメラネシアというタトゥーのマイナーエリアを取り上げたのかというと、それはメラネシア以西と以東では、モンゴロイドの流れを軸に言い換えるならばメラネシア以前と以後ではトライバルタトゥーのデザインの性格に大きな変化が認められるという個人的見解のためです。北方アジアから南下し島から島へと海を渡って来たタトゥーは、この地でいったい何と出会い、混血し、大きな変容を遂げるに至ったのか。ポリネシアの豊饒を理解するための重要な鍵の一つがここにあるように思えます。

バラエティーに富むメラネシアのアート。その中でもとくにオセアニア芸術最高の宝庫とたたえられるパプアニューギニア、セピック川流域の工芸に共通する圧倒的なまでの迫力に、僕は「太古の律動」みたいなものを感じています。

上述の文章をアップした後に僕はジュリア・マゲアウ(Julia Mage'au)という女性アーティストとタヒチのコンベンションで知り合いました。パプアのリバイバルタトゥーを担う、いまだほとんど唯一の存在です。その後世界各地のそういった集まりで顔を合わせるたびに彼女の活動、Tep Tokreading between our linesは充実し厚みを増して来ているようでした。まだタトゥーシーンの定型に嵌まりきらないようなプリミティブな魅力がそこにはあるようにも思えます。

2017年5月、スペイン、マヨルカ島のコンベンションで、僕が漠然と抱えるいくつかの疑問に関して彼女と話し合ってみました。トライバルタトゥーのマイナーエリアと書きましたが、それはパプアの広大な島全体を見渡した場合の非常にざっくりとした感想であり、かつてはそのほとんどの沿岸部に女性のタトゥー文化が存在していたようです。ワイマ、モトゥ、アロマ、マイシン、メケオ、フラ。そのどれもが全身規模の見事なデザインです。世界の他のトライバルタトゥーと比較した場合に顕著なのは、塗り面がとても太くてダイナミックだという点。いわゆるライン表現のディテールというものはあまりなく、最低でもクレヨンでがっしり描くぐらいのボールドなボリュームは出していることでしょう。ジュリアにその辺も含めた解説をしてもらいました。

「まず他の民族と比べて特別に肌の色が濃いこと、そこにもってきて部族間の信号としてかなりの距離から判別出来なければならないという事情が作り上げたダイナミズムだと思います。」

でもあなたが現在手掛けているデザインは形はかつてのデザインを踏襲していますが、もっと繊細なライン表現ですね?

「現在ではその認識票としての役割はもはや無いし、そもそも裸で暮らしているわけでもありません。パプアでも今では女性が装飾として捉えるタトゥーの鑑賞距離は50センチぐらいですよ。そういうニーズに合わせて現代バージョンにシフトしているんです。」

僕はボディモディフィケーション(身体改造)からタトゥーが派生した経緯に興味があるのですが、パプア先住民は移住時からタトゥー文化を持っていたと思いますか?

「山間部のオリジナルの遺伝子を持つ人々にはスカリフィケーションの風習しか見られないことを考えると、沿岸部のタトゥー文化は後のアジアやポリネシアとの交流によるものが起源だと思います。」

つまり人類がアフリカから出た時点ではまだタトゥーは無かったという見解ですね。やはり北方に移動する過程で薄くなる皮膚色と関連して生み出された技術なんでしょうか。

ところで日本もパプアと同じように、資料に残るタトゥーはほぼ女性のものばかりなのですが、世界のトライバルタトゥーを見渡した場合も7:3とか8:2とかでやはり女性の資料が多いですよね?これはどういうことだとあなたは考えますか?

「面白い。確かにそうですね。よく知られたトライバルタトゥーは男性デザインが多いような印象もあるけれど、実際の件数では圧倒的に女性ですね。コミュニティ内での女性の役割、例えば縫い物や手芸などと同じカテゴリーに入っている場合が多いということでしょうか。」

男性の場合、ファッションとしての動機が女性と比べたらかなり低いから、何かのサインや呪いとも関連しないと成立してないようにも見えますね。現代でも社会的に明らかなサインとなり得るほど極端で派手なタトゥーの男性は多く知られていますが、実際に何がしかのタトゥーが入っている人口はおそらく女性の方が多いような気がします。ピアスだってそうじゃないですか?

「個別の言い伝えの収集などから何か普遍的な傾向が見えると面白いですね。女とタトゥーの普遍的関係性。とても興味深い。」

心理学、生理学レベルでの原因とか知りたいですね。じゃあ次に会う時までにお互い宿題として考えておきましょうか。ありがとうジュリア。

引用
著書:「traibal tattoo designs from the americas 」出版:mundurucu publishers
著書:「traibal tattoo design」出版:the pepin press
著書: 吉岡郁夫「いれずみ(文身)の人類学」出版:雄山閣

参考文献
著書:「THE WORLD OF TATTOO」Maaten Hesselt van Dinter著 KIT PUBLISHER
著書:「世界民族モノ図鑑」明石書店
著書:「EXPEDITION NAGA」 著者:peter van ham&jamie saul 出版:antique collectors, club
著書:「MAU MOKO The World of Maori Tattoo」Ngahuia Te Awekotuku with Linda Waimarie Nicora
著書:「縄文人の入墨」高山純, 講談社
著書:「TATTOO an anthropology」MAKIKO KUWAHARA, BERG
著書:「GRAFISMO INDIGENA」LUX VIDAL, Studio Nobel

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